※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。
ホラー映画で、なぜ銃をすぐに落としてしまうのか?
ホラー映画で、仲間とまとまっていた方がいいのに、なぜ単独行動をしてしまうのか?
ホラー映画で、なぜ暗闇の中でカップルが盛り上がってしまのか?
これらの謎を解き明かしてくれる映画が『キャビン』である(笑)
なるほど、もう少しで敵をやっけられるのに、銃が落ちてしまうのは電気ショックが原因だったのだな(笑)
『キャビン』では、ホラー映画のテンプレートを皮肉りつつ、あからさまなコメディにしなかった所が人気の秘密だろう。
この技は一回しか使えない。
その貴重な一回を、丁寧に、しかも最高の演出で表現した作品なのである。
大晦日の定番、ダウンタウンの笑ってはいけないシリーズ、これの仕掛け側をみているようである。
仕掛け側(制作スタッフ)はクライアントである「視聴者」を意識して、蝶野のビンタのように『お約束』を適切なタイミングで行う。
すべては視聴率を左右する「視聴者」を面白いと思わせるために。
そのためには入念な計画を立て、シナリオを作り、トラブルも臨機応変に対応する。
そうでないと、視聴者は「紅白歌合戦」にチャンネルを変えてしまうのだ。
よって、作り手において視聴者は『神』なのである。
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キャビンのあらすじと感想
5人の大学生が山の奥にある別荘に遊びにいくところから物語はスタートする。
学生のうちの一人、カートが『いとこ』の別荘を借りられたのだ。
しかし、その学生たちを監視する怪しい人物たちもいる。
監視するチームは大人数で、これらの目的は序盤では当然わからない。
この不気味さが恐怖をうまく表現している。
古びたガソリンスタンドでも、不気味な店主がよい雰囲気をだしている。
そして、次のシーンが秀逸だ。
学生たちがトンネルに入ると同時に、空を飛んでいた鳥も学生たちが向かう方へ向かった。
しかし、トンネルの外側には見えない壁があり、その壁にあたると電気に感電してしまうのである。
ここまではリアリティ重視だったストーリーにおいて、ちょっとファンタジー的なアイテムが出てきたわけである。
ここで、「どんな世界観の映画なのか?」が何となく掴めてくるわけだ。
そして、山の中の別荘に到着する学生たち。
ここも面白い。
その別荘は、別荘というイメージがまったくない、古びた廃墟の民家なのである。
この辺から徐々にコメディ要素が小出しされていく。
急に開く地下室の扉、急にムラムラしてしまうカップル、ラテン語で復活するゾンビ。
これらは何と、視聴者(映画を観ている人)に喜んでもらうために、仕掛け側が作ってくれていたのである(笑)
学生たちが選ぶ怪物をそこに提供して、主人公の女の子が最後に残れば成功なのである。
なぜなら、それが一番視聴者が喜ぶから。
正義感や勇気がそこそこあって、純粋でなるべく処女の女性がホラー映画ファンは好きなのである(笑)
逆に、淫乱な女や感情移入できないクソまじめな男は、早めに怪物に始末してほしいのである。
よって、淫乱になるようにフェロモンが刺激される霧をだしたり、仕掛け側は工夫するのだ。
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「きっと、カートにいとこはいない」の意味とは?
ラストはシガニー・ウィーバーがラスボスとして登場する。
宇宙人ポールでもラスボスだったが、この作品でもラスボスだ。
ゾンビよりも強いエイリアンを倒してきた英雄が、ラスボスって所も面白いが、そのゾンビに倒されるというオチも最高だ。
そして、神である視聴者(ホラー映画を観ている人)は、最後は女性一人にならないと納得しない、だからマリファナ男を殺せという。
男と女が生き残ってハッピーエイドのホラー映画は最悪なのである。
しかし、結局2人は生き残ってしまう。
そして、最後に「きっと、カートにいとこはいない」とつぶやく。
いまさら言うセリフかな?と、ちょっと引っかかるセリフだ。
カートにいとこはいない、というのはどういう意味か?
『カートのいとこの別荘に行く』という所から物語はスタートした。
いとこがいない、ということは『作り話』ということだ。
つまり、主人公たちは最後に自分達が『作り話』ということに気付いたということだ。
定番のホラー映画のメタファーにおいて、視聴者・仕掛け側・キャストが一つの世界に結合するのである。
一見コメディのようだが、かなり深く作りこまれている。
あなたも、もしかしたら、誰かに作らされた世界を生きているかもしれない(笑)
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