※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。
人間の脳が100%使えるようになったらどうなるか?
似たようなコンセプトの作品は小説や漫画なども含めればたくさんある。
映画では『リミットレス』という作品が似たような設定だ。
どちらも「薬」の力を使う点が共通しているが、リミットレスはどちらかというと現実的(ビジネスに活用)、ルーシーは人類進化がコンセプトである。
この違いは結構大きい。
『リミットレス』を観て感じた違和感を見事に表現しているのが本作『ルーシー』である。
リミットレスを観た時に、ボクは大きな違和感を感じた。
それは脳のレベルが上がって、個人(自分)の成功なんて求めるか?という点である。
脳のリミットが外れても富や名誉を求めるなんて、そんなバカなことはあり得ない。
恐らく、そんな問題はすぐに解決してしまうし、もっと抽象的な目標を達成しようと考えるはずである。
よって『ルーシー』は、この抽象的な思考が伝わらないとピンとこないようになっているのだ。
だからこそ「B級映画だ」なんてコメントが出てきてしまうのである。
人類の進化について、リュック・ベッソンの世界観と、スカーレット・ヨハンソンの表現力は、正解に近いのではないだろうか?と思うほど、演出については素晴らしいと思う。
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マズローの欲求5段階
人間の脳について詳しくみていきたいのだが、全ての生物の本能でもある「欲求」についてまずは確認していく。
人間の欲求には5段階あるという説を唱えた心理学者エイブラハム・マズロー。
- 生理的欲求
- 安全の欲求
- 集団帰属の欲求
- 承認の欲求
- 自己実現の欲求
これらの欲求は1つずつクリアしていかないと、次の欲求へはいけない仕組みとなっている。
例えば、ジャングルに迷ってしまった場合、その中で「お金持ちになりたい」なんて思わないわけである。
まずは「助かりたい」「水が飲みたい」「何か食べたい」という欲求が優先される。
それが1番初めの欲求である「生理的欲求」である。
人間が生きるために最も土台となる欲求であり、基本的なものとなっている。
次が、「安全の欲求」である。
これは「安定して給料がもらいたい」とか、「家を手に入れて雨風をしのぎたい」などの欲求である。
これも基本的な欲求であり、人間なら誰しも持っている欲求となっている。
次が、「集団帰属の欲求」である。
毎月安定してお給料も入り、台風が来ても倒れない丈夫な家もある。そして、食べるものもたくさんある。
こうした土台となる欲求をクリアすると、人間は集団に入りたいと思うようになる。
その中で楽しんだり、愛されたりしたくなるのだ。
好きな趣味を一緒に行いたくなるのもこの欲求によるものである。
次が「承認の欲求」。
これは「認められたい」と願う欲求である。
簡単にいうと、地位や名誉を求める欲求だ。
食べものもあって、お金もあって、仲間もいる。その中でトップになって認められたいと願う欲求である。
生理的欲求→安全の欲求→集団帰属の欲求と、それぞれクリアしていかないと、沸き起こらない欲求となっている。
そして、最後が「自己実現の欲求」である。
これは全ての欲求が達成されたときに起こるものである。
金も名誉も仲間も全て手に入れ、そして、損得なく達成したいものとなっている。
これが人間の持つ欲求のステップであるが、『ルーシー』は初期の段階で「自己実現の欲求」に向かっているのがわかる。
最初から人類進化の為に、自分の知識をすべて託そうとするのである。
だからこそ、脳科学の権威であるモーガンフリーマンにコンタクトを取ろうとするのだ。
逆に『リミットレス』は「承認の欲求」と止まっている。
最後まで私利私欲の為に頭脳を使っているのである。
富を守り、そして薬の中毒性を緩和させ安全を守るなど、結局は安全の欲求から逃れられないのである。
しかし、ルーシーの場合は、最初から生命としての活動の終わりを理解し、「何を残すか?」にフォーカスしているのだ。
だからこそ、『ルーシー』の方が脳の進化に対してリアリティーがあるのである。
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情報の可視化と共感覚の映像化
この映画の最大の見どころは「情報の可視化」であろう。
脳の機能を引き出し続けるルーシーは、情報が目で見えるようになる。
例えば、街中の電話の内容を光で認識しリサーチし、その内容にアクセスできるようになるのである。
この映像は革命的であり、情報の可視化に成功している素晴らしいシーンである。
これは共感覚に近いものであり、数字が色でみえたり、より抽象的な感覚で情報を処理できることを表現している。
例えば、共感覚者は偉人が生まれた場所に光が見えたするという。また、音が光で見えたりするのだ。
この様に、人間の目や耳で確認できる周波数を越えた表現をふんだんに取り入れているのだ。
洗脳と粒子のコントロール
脳が進化したルーシーは相手を催眠術(洗脳)で倒していく。
これは非常に面白いし、それほど現実離れしているものでもない。
相手の脳を支配することで、コントロールすることは十分可能である。
それは身近なところでも多々行われている。
例えば、テレビコマーシャルなどは合法的な洗脳だ。
脳にイメージを刷り込んで購買に繋げようとし、それに影響を受けて消費者はスーパーに走るのである。
ここまでは、誰でもイメージできる戦いである。
しかし、後半戦では相手が宙に浮いてしまう(笑)
ここはリュック・ベッソン監督の遊び心だと思われるが、脳が進化したルーシーが粒子レベルで物質をコントロールしている可能性も捨てがたい。
劇中でも描かれているが、物質を異なる物質にしてしまうシーンが何度もある。
物質を粒子レベルにし、情報に変えてしまうわけである。
だからこそ、第三者にはあのように宙に浮いているように見えるのだ。
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母への電話
本作で一番好きなシーンがルーシーが母へ電話するところである。
お腹にある薬物を取り出す為に病院へ向かうルーシー。
時間がないルーシーは、手術中の手術室へ勝手に入ってしまうのである。
手術中の患者の脳のレントゲンをみて、助かる見込みがないと判断したルーシーは、なんとその患者を打ち殺してしまう。
この辺からルーシーの感情の次元が変わってくる。
何の慈悲もなく助からない患者を殺したかと思ったら、次の瞬間はスマホで母親に電話をしている。
母がルーシーに対して注いでくれた愛情に対してひたすら感謝するのである。
それは、まだお腹の中にいた頃にまでさかのぼり、どれほど愛されていたのか?を理解し感謝するのだ。
恐らく、脳の進化によってこういった感情を失うことを予測していたのであろう。
ここで涙をみせてから、最後まで無表情となるのだ。
この感情の切り替えシーンは本当に見事である。
- 助からない患者を銃殺(慈悲)
- 麻酔なしで腹部から薬を取り出す(痛み)
- 母への感謝(愛)
本来であれば決して交わらない感情を全て同時に表現してしまうのだ。
ラストの解説
ラストは簡単にいうと、ルーシー自身が情報となって無限に生き続けるというイメージである。
物語の途中で2回ほど出てくる「繁殖」と「不老不死」が重要なヒントとなっている。
生きやすい環境であれば生命は「繁殖」を選び、知識を残そうとする。
しかし、生活できないような過酷な環境になれば「不老不死」を選択するしかなくなるのだ。(普通はできない)
ルーシーは薬の投与によってこの世界では生きられなくなってしまった。
だからこそ、なんとか模索し自身を情報化することで、不老不死となったのだ。
そして、脳の進化が99%に行くと時空を超越し、宇宙の始まりと終わりまで体感してしまうのである。
それを、次の世代に残すために現代のデバイスであるUSBメモリとなったのだ。(現代に合わせた)
ルーシーという物質は消えてしまったが、刑事の携帯をみるとルーシーはどこにでも存在していることがわかる。
なぜなら情報となって無限に存在し続けるからである。
人類の祖先であるルーシー(猿)との「ETシーン」はかなり深い。
あれは、ルーシー(人間)がルーシー(猿)に知識を与えた(遺伝子に情報を書き込んだ)わけである。
これにより突然変異が起こり、人類の歴史が始まるのだ。
つまり、ルーシー(人間)が人類進化の源泉だったというオチであり、タイトルの謎が解けるのである。
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