※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。

1955年の『俺たちは天使じゃない』をリメイクしたのが本作である。

ロバート・デ・ニーロが制作総指揮を兼任し、主役もこなしている作品だ。

派手な爆発なや、衝撃的なシーンもなく、今のハリウッド映画の真逆を行っているが、それでも最後まで目が離せないのは脚本や出演者の素晴らしい演技の賜物であろう。

CGなんてなくても、現代でも十分楽しめることを証明してくれる映画である。

今こそこういった作品を新しく作って欲しいし、やはり「制限」というのも必要なのだと考えさせられる。

予算が余るほどあって、CGも使い放題の今の映画には出せない「味」が『俺たちは天使じゃない』にはたくさん詰め込まれている。

脚本と、俳優だけで魅せていく映画は本当に面白いので、映画に関わる仕事をしたい人はぜひ本作を観てほしい。

 

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あらすじ

カナダに近いアメリカの刑務所に服役している主人公ネッド(ロバート・デ・ニーロ)とジム(ショーン・ペン)。

ある日、殺人犯であるボビーの死刑執行に立ち会うことになってしまう。

ボビーは電気イスに座る瞬間、隙をついて警備員の拳銃を奪うのであった。

そして、ネッドとジムを巻き込み、刑務所を脱走するのだ。

ボビーは単独で脱走し、ネッドとジムは2人で脱走することになる。

そんなネッドとジムだが、捜査から逃れる為に神父になりすまして行動するようになるのであった。

 

デミ・ムーアが可愛い

本作のヒロイン役であるデミ・ムーア。

登場するやいなや、圧倒的なオーラで魅了してくれる。

この頃のデミ・ムーアは本当に存在感があり、この後に公開された『ゴースト』で不動の人気を手に入れるのである。

まだ新人でありながら、ロバート・デ・ニーロに対して堂々と演技をする姿は気迫に満ち溢れている。

 

ショーン・ペンの演説は名シーン

ロバート・デ・ニーロとコンビを組むショーン・ペンも重要な役だ。

少し抜けてそうだが、情に熱い青年をうまく表現している。

あの透き通るような眼で、ボケェ~っとしているところが最高だ。

また、後半では運悪くクジに当たってしまい大衆の前で演説をしなければならなくなる。

この演説の演技が素晴らしく、自信のなかった青年が、徐々に自分の天命に気づくようになる流れが素晴らしい。

そして、ラストでは教会に残るというまさかの展開になるのだが、その時のロバート・デ・ニーロとのジェスチャーでのやり取りがまた良いのだ。

声で伝えるのではなく、教会への眼差しで自分を表現する見事な演技である。

下記が有名な演説シーンの全文である。

 

皆さんは1人きりで、危険の中に立たされたことがありますか?

この世界では、いつ危険に襲われないとも限りません

命が危なかった時、私はポケットの中に何かないか探しました

そこには・・・

(※ここまではポケット拳銃の広告の切り抜き記事を呼んでおり、内容が合わなくってきたので、ここから自分の言葉で話すようになる)

何も・・・

ありません

希望だけです

お金を盗まれたり、地位を奪われたり、鞭で打たれたり、人に裏切られたり、そういうことはよくあります。

その時、ポケットを探っても頼れるものはないのです。

災難や不幸に対して、誰も十分な力を持ってはいません。

お金もそうでしょう。

十分なお金があっても災難は降りかかります。

悲しいことです。

世間には残酷で鬼のような人もいるようですが・・・

神は善なのか?

わかりません。

ただ人間は、慰めが必要なのです。

人間は弱いのです。

もし信仰が慰めになるなら神を信じなさい。

それも自由です。

人間は罪ぶかくて、人に言えない秘密を持っています。

もし、あなたも何かを信じていたいなら、それでいいのです。

 

ロバート・デ・ニーロのコメディ

本作ではロバート・デ・ニーロのコメディが堪能できる。

シリアスな演技が定着しているデニーロだが、本作のコメディ的な演技も見応えがある。

やはり表情の変え方がうまいし、ジェスチャーによって体をつかった演出も楽しめる。

さすが、自身で制作総指揮まで行っただけのことはあり、作品の中でコメディとシリアスを使い分け、作品に奥行きを与えている。

 

今では大スターとなった3人の原点的な演技が楽しめる『俺たちは天使じゃない』。

家族や恋人とも楽しめる最高の作品である。

 

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