※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。

絶滅寸前の人類と、それをサポートする人口知能ロボットを描く『オートマタ』。

激シブのアントニオ・バンデラスとロボット達だけで展開していくSF作品である。

人間はそれほど登場しないので、たくさんの顔を覚える必要もない(笑)。

しかし、ロボットにも一応顔があり、それは覚えておく必要がある(笑)。

人間が作った人工知能がどのように進化していくのか?

非常に興味深い作品である。

 

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あらすじ

2044年、地球は太陽嵐によって汚染濃度の高い砂漠化が進んでいた。

世界の人口は約2000万人となり、99%の人間が亡くなってしまったのだった。

人類は衰退の道を辿っていたが、ロック社という企業が「オートマタ」という人工ロボットを開発し、機械式の雲を作ったり人類をサポートするのであった。

膨大な数のロボットを作ったロック社であるが、ロボットの暴走を防ぐ為、2つの管理プログラムをロボットに組み込むのであった。

①生物への危害を禁止するプログラム

②自他の改造を禁止するプログラム

この2つのプログラムによって、人類の脅威になることを防ぐのであった。

また、プログラムの改造が出来ないように、強力なセキュリティを搭載しており、プログラムを改造するのは不可能となっている。

そんな人工ロボットであるオートマタであるが、ロック社の事故調査員である主人公のジャック・ボーガン(アントニオ・バンデラス)は、相次いで改造ロボットを目撃するのである。

一体誰が!?

何の目的で!?

このロボットの改造を巡るサスペンス的な展開へ物語は進んでいくのである。

 

犯人は初期型オートマタ?

誰が何の目的でロボットを改造しているのか?これを想像していくので中盤まではとても楽しい時間が過ごせる。

しかし、後半になると、ロボットを改造した犯人が判明する。

それは何と初期型のオートマタであった。

初期型のオートマタは2つのプログラムが設定されておらず、一言でいうと「自由」なのである。

そして、仲間を増やす為に後に作られたオートマタのプログラムも解除し、自由にさせていくのであった。

よって犯人は初期型オートマタなのである。

この展開にガッカリされた人も多いと思う。

もっと利権的な人間の性を描くようなものだと思ったら、結局は手違い的なロボットだったわけである。

ただ、これが実に面白いのである。

 

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感情を持つオートマタ

この作品の面白い所は、制御プログラムを解除したロボットに感情がある点だ。

しかも、それが道徳的な感情である点が面白い。

なぜなら、もし制御プログラムが解除されたのであれば人間をさっさと始末するからである。

オートマタの活動を脅かす存在は人間なのだから、真っ先に人間を始末させるはずである。

しかし、初期型オートマタはそんなプログラムを作らなかった。

それよりも、人間との共存を選んでいるのだ。

つまり、道徳的な感情があるということである。

それもそのはず、人間が何百万年もかけて進化したことを、ロボットは数週間で到達してしまうからである。

しかし、新しく作った昆虫型ロボットには「防衛反応」があり、危害を加えられそうになると人間であっても反撃をする。

つまり、この新種のロボットが今後は主流になるため、人間の奴隷となるようなロボットにはならないのだ。

 

エンディングの衝撃

汚染や砂漠化によってどんどん生活範囲が狭くなる人間。

それに対して、制御プログラムを解除し独自の進化を遂げるオートマタ。

オートマタにとって汚染や砂漠化は関係なく、自ら解決策を導き出せるのである。

また、自らエネルギー(原子力電池)を生み出せるような未来もある。

つまり、人間からロボットにバトンタッチする背景を描いている映画なのだ。

オートマタには人間のような醜い欲もなく、人間が自分達(オートマタ)のサポートがなければ滅ぶことも理解している。

それなのに人間は最後まで助け合おうとせず、ロボットを軽んじ、いつまでも地球の支配者気分なところが考えさせられるのである。

最後まで自分の欲を捨てられない人間、そしてバトンタッチすべき未来の主役。この辺を絶妙なバランスで描いた点が素晴らしい。

また、2044年には本当に開発されそうなオートマタのリアリティは、なかなかのものである。

 

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