※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。
ホラーであり、友情ドラマであり、哲学でもあるスティーヴンキングの「IT(イット)」。
よく「ホラー版スタンド・バイ・ミー」などと言われているが、まさにその通りである。
前半の少年時代編と、後半の大人編に分かれているが、非常に考えさせられる映画である。
頭を空っぽにして、最後まで生き残るのは誰かを想像する単純なホラー映画ではない。
まず、話の中心となるのがペニーワイズというピエロである。
(ピエロが排水溝から現れるというなんともおぞましい構図、スティーヴンキングの他に誰が考えつくのか?)
このペニーワイズの不気味さがホラー的な要素を強くし、「一体何者なのか?」というフックを作りだす。
そして、このペニーワイズは子供にしか見えず、子供の恐怖心によって強くなるという特徴を持っている。
逆に恐怖を感じなければ虫よりも弱い存在なのである。
しかし、どんな子供にも恐怖心はある。
それがペニーワイズに対してではなく、家庭的なことも影響されることが重要なのである。
例えば、父から虐待を受けている唯一の女性キャラであるベバリー・マーシュ。
ベバリーは浴槽・洗面所で血が溢れる幻覚をみるのだ。
それは、ベバリーが持つ潜在的な恐怖であり、こういった内なる恐怖を演出するのは流石スティーヴン・キングだ。
このように、それぞれのキャラが見る恐怖は、それぞれのキャラが抱える潜在的な恐怖なのである。
決してストレートに表現しないので、自分自身で考察していかないと意味がわからなくなってしまう映画なのだ。
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ペニーワイズの正体は何?
ネタバレになるが、結局ペニーワイズの正体は何だったのか?
映画のラストシーンでは巨大な蜘蛛として表現されているが、これはもちろんメタである。
これは単に、子供の恐怖心を具現化した仮の表現であり、本来はもっと情報・概念的なものである。
この映画の主人公グループ(ルーザーズ・クラブ)全員が当てはまるものは「いじめ・差別」である。
太っていたり、貧乏だったり、吃音だったり、喘息持ちだったり、肌の色であったり、皆それぞれコンプレックスがあり、それが「いじめ・差別」に繋がっている。
さらに、家庭内ではそれとは別の問題を抱えていたり、子供は子供なりに重い荷物を背負っているのだ。
しかし、大人はそんな気持ちに気付いてくれず、関心を持たなかったり、逆に傷つけたりする。
こうした苦難を乗り越えるのに最も大切なことが友情である。
それぞれの痛みを分かち合い、ともに乗り越えていく仲間。
こうしたメッセージをスティーヴン・キングは執拗に伝えている。
だからこそ「それがまた現れたら集まる」という約束を強調し、それぞれの少年時代を念入りに描いていくのである。
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そして、それぞれが大人になり成功して大忙しであっても、約束は守られるのである。
設定上では子供たちの恐怖心を高め、それにより美味しくなった子供たちを食べるモンスターというのがペニーワイズの正体として描かれている。
しかし、実際は上記のような「概念的」な存在だと思われる。
ルーザーズ・クラブが住む町デリーに27周期で現れる呪いなのだ。
そして、それは大人になると避けるようになり、夢を忘れてしまうように、ペニーワイズも忘れてしまうのだ。
また、ペニーワイズの真相についての確実な答えというのは描かれてないので、それを同時に考えながら観る必要がある。
怖くなったり、子供たちの友情に涙したり、ペニーワイズの正体を考察したり、非常に疲れる映画である(笑)
しかし、この抽象的なテーマをホラー要素で飽きずに視聴させる力量は、さすがスティーヴン・キングである。
土地や文化的な束縛(呪い)というテーマも盛り込んでおり、相当奥行がある作品となっている。
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