※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。
『大日本人』に続いて、松本人志監督の2作目の作品である。
独特なヘアースタイルと、独特なパジャマでとりあえず掴みは良い感じだ(笑)
そして、気になる内容だが「起きたら謎の部屋だった」というシチュエーションスリラー的なテーマになっている。
これは『SAW(ソウ)』からインスピレーションを受けた設定である。
なぜ、そう言い切れるかというと、松本人志著の「シネマ坊主」に原案が書いてあったからである(笑)
『SAW』の批評の回で「こんな内容オレでも簡単に作れる。ある部屋で目覚めて、スイッチがたくさんあって脱出を目指す・・・」という内容を語っていたのだ。
その語った内容を、そのまんま『しんぼる』に当てはめたのだ。
ということで、その記事を覚えていたかは不明であるが、かなりの確率で『SAW』からの影響を受けている作品なのである。
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あらすじ
主人公のパジャマ男(松本人志)は、目が覚めると白い部屋の中にいた。
出口はなく、混乱するパジャマ男の前に複数の天使が現れる。
そして、その天使たちは男の「しんぼる」だけ出したまま、見えなくなってしまうのだ。
さらに、その「しんぼる」を押すと様々な仕掛けが現れる。
お箸、拡声器、ツボ、寿司、醤油、水などなど、「しんぼる」を押すことで様々なアイテムが出てくるのだ。
また、ある「しんぼる」を押すと、出口らしきものが登場する。
その出口から脱出するために奮闘するのがメインとなる物語の進み方である。
わかりやすさ
『大日本人』では解り易さによる「恥ずかしさ」から若干抽象度の高い作品となっている。
しかし、本作『しんぼる』は抽象度は相当低い。
つまり「解り易い笑い」となっている。
そして、ターゲット層もかなり広めに設定している。
恐らく昔の松本人志であったら、子供に理解されるような笑いは目指していなかったと思う。
しかし、本作のコンセプトはすでに子供も理解できるように親切設定となっている。
本作を2回目に観たときは、6歳の息子と一緒に観に行ったのだが、息子の反応に注意しながら鑑賞した。
すると、冒頭の天使の「しんぼる」で爆笑である。
また、適度に使う「おなら」。
そして、何より関心したのは脱出方法を一緒に考えるという「意外性」まで見つかった。
通常のシチューエーションスリラーの場合、ホラー要素が強くなり子供向きではない。
しかし、本作『しんぼる』はコメディ×シチュエーションスリラーとなっており、子供も楽しめるのだ。
そして、メキシコのプロレス会場と交差する「オチ」のシーンでは・・・
首が伸びるレスラーに対して大爆笑であった。
「しんぼる」を押す間続く、ゴング音なども笑っていた。
以上のことから、本作は「解り易さ」をテーマに組み立ていることがわかる。
セリフも少なめで、物語の複雑性もなく、子供や外人が観ても楽しめる作品を目指したのであろう。
寿司が重要なメタファー
松本人志さんは「寿司」というアイテムを好んで利用する。
ビジュアルバムの中でも登場するし、『R-100』でも登場する。
寿司に対する独自の価値基準があり、それをメタファーとして表現している。
『しんぼる』でも寿司は何度か笑いの要素を入れている。
無造作に投げ込まれる寿司、そして「後で醤油が来る」とあえて予想させてその通りになる展開。
ツボの重さを増やす為にツボ詰めにされる寿司。
重すぎて持ち上げられないので菜箸で外に投げ捨てられる寿司。
「しんぼる」を固定させるためにぐちゃぐちゃにされる寿司。
「しんぼる」の目印として、上に置かれる寿司(マグロ)。
そして、暗い部屋に入ったときに時間の経過をわからせるために利用される寿司。
本作では寿司をけちょんけちょんにしまくっている。
ビジュアルやR-100でも寿司を手のひらで押しつぶしたりする。
松本人志さんにとって、恐らく寿司は「伝統・しきたり」などの象徴であり、それを雑に扱うことでメッセージを送っている。
例えば、映画評論家。
「映画とはこうだ!」という伝統としきたりの塊であり、そういった頭カチカチ野郎を寿司として表現しているのだ。
そして、それは皮肉にも壺によってまとめてられたり、グチャグチャにされたり、やりたい放題なのである。
寿司を食べ終わった後に出てくる醤油に対してベタ過ぎて笑えないという評論家は、それはあなた自身を皮肉っているよというメッセージなのである。
ボク的には出口のボタン(しんぼる)を寿司で固定させようとするシーンはかなりツボだった(笑)
ガムテープや、ツボなど、散々試してきたのに、何の粘着力や重さもない寿司を山盛りにする(笑)
そして、そのマグロを「しんぼる」の目印に使ったり、それこそガムテープ使えよと思わず心でツッコんでしまった。
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宗教的なラスト
メキシコのプロレス会場と交差するところまでは、言い方は悪いが子供も楽しめる解り易い笑いとなっている。
しかし、そこからは『2001年宇宙の旅』のような抽象度の高い映像となっていく。
歴史的なシーン(時代のしんぼる)を写しだし、様々な方法でしんぼるを押す主人公。
万物の様々な出来事は、神のイタズラのように淡々と現象が起こる。
この辺は松本人志さんの経験からくる思考なのか?徐々に神様風になっていくところも解り易い表現だ。
確かに、努力で松本人志のようになれるか?というと難しい話である。
吉本だけで6000人も芸人がいるのに、松本さんのように頂点を継続している人物はそうそういない。
しかも、20代前半から・・・
そして、その天才が気付いた到達点がこのラストシーンなのかもしれない。
という意味では、天才が天才の生まれる仕組みを解説した非常に貴重な作品だと思う。
このラストをチープとか批評する人もいるが、この天才が与えてくれた天才になるための答え(神の気まぐれ)はかなり説得力があると思う。
そして、もしこうした気持ちでラストを作ったのであれば、かなり謙虚な人物であり、その人気や後輩から慕われている理由も納得である。
これだけビッグで、何十年も評価され続けているのに、大きなスキャンダルがないのはこのラストシーンに答えがあるように思う。
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