※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。
冒頭からスタンリー・キューブリックの世界観全開で始まる『時計じかけのオレンジ』。
主人公である15歳の不良少年アレックスが、欲望のまま悪事を繰り返す。
「不良少年」と聞くと、少しカワイイ感じもするが、アレックスのグループが行う行為は鬼畜そのもの。
ホームレスの老人に暴力するわ、人の家に押しかけ妻を暴行するわで、とにかくショッキングな映像が続く。
暴力と性的描写が多く、それは一見芸術的ではあるが、最初は胸くそ悪くなる感覚が正常であろう。
この様にショッキングなシーンが続くのだが、やはり「アート」としてバランスをとっている所がキューブリックの凄いところであろう。
現場の家具や、置物、鏡などの配置によって、ただの暴力シーンではなくなってしまうのだ。
「塩」に「うまみ成分」を加えることで塩分が緩和するように、『時計じかけのオレンジ』も見事にアートによってバイオレンスが緩和するのである。
もし、アレックスたちが行う鬼畜行動を、普通の部屋や背景で行っていたら、最後まで観れる人間は限られてしまう。
そして、アレックスが「雨に唄えば」を歌いながら犯行におよぶことで、スリリングな音楽では出せない効果をも演出しているのだ。
「雨に唄えば」はアレックス役のマルコム・マクダウェルのアドリブだったようで、それがキューブリックのイメージにぴったり合い、あのシーンが生まれたと語っている。
この様に、キャラやセットのデザイン、そして音楽によって、唯一無二の作品となっている。
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欲望と抑圧
この作品のテーマは『時計じかけのオレンジ』というタイトルから、強制的に欲望を管理された人間の末路であろう。
だからこそ前半は徹底的に人間の残忍な欲望の部分を表現している。
道徳心がない状態での人間、生存本能だけで生きる姿は、アレックスそのものだ。
それが何の縛りもない状態の「自由」である。
これにルドヴィコ療法によって社会的な管理システムを強制するのが後半のアレックスである。
暴力的な衝動がでた時に、吐き気が起こり、強制的に感情が沈む。
また、性的な衝動も同様だ。
この様に欲望を強制的に抑圧するシステムが「時計じかけ」なのである。
後半は恨みの浄化
ルドヴィコ療法によって釈放されたアレックス。
しかし、アレックスにはもう帰る家はなかった。
両親からは家を追い出され、自分の代わりとなる男までいる。
そして、かつて暴行したホームレスに偶然出会い、ホームレスの仲間たちからリンチされる。
さらに、それを助けた警察官がかつての不良グループの仲間。
かねてからアレックスに恨みがあった不良グループは、ここぞとばかりにアレックスに暴行を加える。
さらに、助けを求めて飛び込んだ先が、かつて襲った作家の家であった。
作家の妻は、当時の暴行が原因で自害してしまい、作家は車いす生活となっていた。
最初はアレックスに気づかなかったが、風呂で「雨に唄えば」を口ずさむアレックスをみて犯人と確信。
ルドヴィコ療法の具体的なことを聞き出し、部屋に閉じ込めて苦手なベートベン「第9」を流すのであった。
その苦しみにより、飛び降りて楽になろうとするアレックスであった。
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驚愕のラスト
飛び降りた後、一命は取り留めたが全身打撲でベットで寝たきりとなったアレックス。
そんなアレックスに対して、ルドヴィコ療法によって支持率を狙う内務大臣が見舞いに訪れる。
そして、内務大臣から大きなスピーカーとベートーベンの「第9」をプレゼントされる。
「第9」を聞くと猛烈な吐き気と嫌悪感が襲うはずだが、なんと美女と戯れるシーンが描写される。
そして、「オレは治ったんだ」というセリフで幕を閉じる。
つまり暴力的な性格が治ったのではなく、抑圧されていた洗脳が治ったのである。
このラストはかなり怖い。
(原作とは異なるラストではあるが・・・)
ファッションや、小物のデザイン、さらに音楽や言葉(ナッドサット言葉)など、細かいネタを綺麗にまとめたキューブリックは流石である。
ショッキングなシーンが多く、その影響力から一時は上映が禁止されたほどの映画だ。
しかし、その分いまでも伝説的なSF映画として高い人気を誇っているのである。
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