※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。
もしヒトラーが現代にタイムスリップしたら?
非常に面白い切り口である。
観ている方は「面白い」「心強い」や、逆に「恐怖」など、様々な感情が沸き起こるであろう。
物語のヒトラーは現代にタイムスリップし、最初は困惑するが徐々に状況に気づきはじめる。
そして、売店に寝泊まりし、新聞や雑誌を読み漁り、やっと状況を理解するのである。
売店で寝泊まりしたり、衣服をクリーニングに出したり、また、お金を稼ぐ為に似顔絵を描いたり、コメディ調で物語は進んでいく。
しかし、こういったコメディが実は最大の伏線となっているのだった。
メインとなる展開としては、冒頭でヒトラーを発見した主要キャラであるザヴァツキが、ヒトラーのお世話をしながら国民にインタビューをしていくというドキュメタンリー風になっている。
ザヴァツキはテレビ局をクビになりネタを探していた。
ヒトラーは現状を知る為に頼れる人物を探していた。
この様な関係からストーリーがどんどん展開していくのである。
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メディアに登場し大うけ
国民をインタビューしながら、SNSなどでも知名度が上がり、ヒトラーのモノマネ芸人として人気者となったヒトラー。
テレビ局へおしかけ幹部に得意の演説などをし、出演も決定する。
この最初の出演シーンは見事。
長い沈黙の後、少しずつ語っていくのである。
これは実際にヒトラーが演説の時に使った話に集中させる為の心理テクニックである。
この時は皆ノリノリだ。
また、ヒトラーの行動はイチイチ可愛く、バラエティ番組でも映えるのだった。
こうしてどんどん知名度を上げていき、視聴率もどんどん上がっていくのであった。
本を執筆しベストセラー
テレビで人気者になったヒトラーであったが、民主煽動の罪で告発状が届いてしまう。
さらに局長の座を狙う副局長のゼンゼンブリンクによって、ヒトラーの犬を撃つというスキャンダル映像を流すのであった。
これにより、ベリーニ局長は失脚し、ゼンゼンブリンクが新しい局長となる。
そしてヒトラーを使いまくったベリーニはテレビ局をクビになってしまう。
そんな中、テレビ出演がなくなったヒトラーであったが、今度は執筆に挑戦する。
この時書いた「帰ってきたヒトラー」がベストセラーとなり、テレビ局をクビになったベリーニとザヴァツキは映画化を目指すのであった。
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ゾッとするラストと今までの伏線
大まかなラストは、ザヴァツキが本物のヒトラーだと気づき、それに気づいているのは自分だけという使命感から、ヒトラーを始末しにいくというラストだ。
しかし、実はこれは映画の撮影であった。
ただ、撮影が終わると「ザヴァツキも一緒に完成を見届けてほしかった」というコメントが・・・
そして、ザヴァツキが映し出される。
それは何と、精神病院のような場所で拘束されていたのだ。
つまり、いま撮影した本物のヒトラーだったと気づいているザヴァツキは精神病扱いされているのだ。
実際に映画として同じ内容なのに、誰も気づかないのである。
ここは本当にゾッとする。
テレビを初めてみてプロパガンダに使えると直感でわかったヒトラー
美しい景色に感動しながら、平気でゴミを捨てるヒトラー
コンピューターの可能性を直観的に理解するヒトラー
インタビューで国民の不満を分析するヒトラー
インターネットの政治利用を瞬時に思いつくヒトラー
ベリーニ局長を「注意深く決断も早い」と評価し、すぐに味方につけるヒトラー
ザヴァツキはこういったシーンを思い出し、またユダヤ人の祖母を持つクレマイヤーを軽蔑するところなど、ヒトラーの危険性がどんどんわかっているのである。
そして、これまでコメディ映画と認識していた我々視聴者もザヴァツキが気づき始めるころ、やっとこの映画の恐怖がわかるようになっている。
最初からヒトラーの手の平で転がされていたのである。
しかも、それが非常に魅力的なのだ。
だからこそ、前半だけで「ヒトラー怖いなぁ~」なんて思う人はいないだろう。
しかし、気づいたらヒトラーに支配されているのである。
歴史だけをみると、なぜドイツ国民はみんなヒトラーを支持したのか?と疑問を持つが、この映画で納得である。
ヒトラーの人心掌握術は、天才的な煽動力によって成り立っており、気づかない内に魅力的に、その思想を植え付けられてしまうのだ。
だからこそ、ヒトラーは「私が本物のヒトラーだ」なんて力説は一切しないのである。
別に自分が本物のヒトラーだと理解されてなくても問題はないのだ。
与えられた資源(テレビ・ネット・書籍)などで、ヒトラーのナチズムを自然に刷り込んでいければよいのだ。
そして、そこまで全て計算で行っているである。
怖すぎる・・・
ドキュメンタリーの臨場感を出すために、わざとノイズを出したり、引き込まれていく。
コメディとして観始めた時に、すでに勝負はついていたのである。
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