※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。

これは原作を先に読んでいたので内容自体は知っていた。

小説の表紙がめちゃくちゃ怖くて、それだけも雰囲気が伝わる原作だ。

そんなことで、犯人のサイコパス的な行動の全てが怖い原作のイメージと、映画のイメージがどれほどのものかを確認したく映画も観てみることにした。

結果的に映画化は成功したと思う。

なんといっても、大竹しのぶがフィットしていた。

一言でいうと感情のない人間を、しっかりと表現できていたと思う。

また、内縁の夫役である西村雅彦もフィットしていたと思う。

あれくらいワザとらしくした方が、「大竹しのぶの方が本物のサイコパスだったのか〜」というインパクトが際立つ。

 

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キャラ設定

映画ならではのキャラ設定もあり、うまく盛れたと思う。

主人公にしてみればインポの設定で、それを克服するかのごとく水泳や運動を行うシーンが盛り込まれていた。

これは精神面からくる肉体の障害を、なんとか改善しようとする主人公と、サイコパス的な精神にさえ自覚していない犯人とのコントラストを表現しているのだと思うが、ちょっとわかりづらいかもしれませんね。

「なぜプールで泳いでいるの?」という疑問が聞こえてきそうです。

また、対照的に犯人はボーリング好きであり、快楽のままピンを倒すことに夢中です。

さらに、外しそうになると、投げた球を取りに行くサイコ的な行動も。

 

乳しゃぶれ~

例えば、ラストの死闘で大竹しのぶが「乳しゃぶれ〜」というのがあるが、精神的な異常を原作より表現できていたと思う。

家にバイブレーターがあったのも、そういった処理の方法がわからない、ただ本能的には求めてしまうという一種の哀れさも感じ取ることができる。

自分の敵となる人物をどんどん殺してしまう大竹は、情報の処理能力が欠如しているわけだ。

そこには感情はなく、ただ本能のまま行動しているだけである。

そんな猟奇性が犯人のバックボーンを支え、恐怖が増すのである。

ただし、原作ではタイトルの通り、黒い家のはずが、なぜか映画では黒くない・・・

まぁ、何か配慮があってのことだと思うが、そこは残念だった。

 

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