※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。
主人公がスローモーションで弾をよける中、カメラは高速で移動する「バレットタイム撮影」が印象的な『マトリックス』。
中心となるアクションも、本場のカンフーを実際に数か月習い、全員がそれなりのカンフーアクションを魅せてくれる。
SFXとカンフーアクションに注目が集まる本作であるが、実は「悟り」についてしれっと表現している所がミソだ。
この世の全ては幻(仮想空間)である、というのを疑いなく確信するのが「悟り」である。
仏陀にしても、その当時の弟子にしても、この世が全て情報空間(幻)であることを理解していた。
例えば、座禅というのは何も考えない「無」になると一般には理解されているが、本来は考えまくってそれがリアルになることがゴールなのである。
頭でステーキを考え、その香り、口に入れた食感、味わい、全てをリアルにすることが座禅の目標だったのだ。
僕たちが住む物理空間も実は情報空間であるので、物理空間の中でリアルにイメージすれば、それはリアルになるということである。
これにより、物欲を頭の中で満たすことを開発したのが仏陀なのだ。
なぜこれが必要なのかというと、今現在の世の中をみればスグにわかるだろう。
スポンサーリンク人々は資源(物欲)の為に争い、それは地球規模で広がり、やがては自滅するしかないからだ。
結局「欲」には上限がないので、奪い合うしかなくなってしまうのだ。
そして権力者は権力を維持しようとする「欲」が働くためカーストなどを生み出すのである。
これを完全に否定したのが釈迦だ。
当時はバラモンという絶対的な価値基準があったにも関わらず、それを完全に否定するほどのハードコア思想なのである。
そして気づくのである、この世はただ脳がリアルだと感じているからそれに従っているだけであると。
それを突き詰めた思想が「この世は全て仮想(情報)空間である」ということだ。
これが「色即是空」という考え方である。
色とは物を表し、空とは情報を表している。
つまり、物質というのは情報の具体化した形であり、物質も抽象化すれば情報になるということである。
「ダルマ」でお馴染みの達磨大師は手足が腐ってしまったと言われている。
これは座禅を組み過ぎたという言い伝えがあるが、それはつまり、他の仮想空間に入っていたということである。
マトリックスで言う所の、カプセルに入っていたシーンがわかりやすい。
あのカプセルの中で現実だと思っていた世界(このブログを呼んでいる世界)を過ごすわけである。
ただし、恐らく設定上の都合でしょうがないと思うが、これらはAIが作った世界ということになっている。
確かに人間の脳は相当なエネルギーを生み出す。
それを拝借する為に人間を養殖しているという設定である。
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印象的なアクションシーンの宝庫
仮想世界での戦いということで、アクションも様々なアイディアが使われている。
基本的にカンフーを土台にしたワイヤーアクションなのだが、その魅せ方が素晴らしい。
キアヌ・リーブスのカンフーは全盛期のジャッキーチェンほどキレキレとはいえないが、それなりの身のこなしで魅了してくれる。
そして、本作でキアヌ・リーブスのアクションを喰ってしまったのがヒロイン役のトリニティを演じるキャリー・アン・モスであろう。
彼女の見せ場はかなり多い。
スタイルも素晴らしいし、黒のジャケットもよく似合いかっこいい。
ワイヤーアクションも不自然さがない。
有名なシーンである壁を横向きで走るシーンも見応えがある。
恐らく、かなりカンフーの練習をしたのだと思う。
他の男性俳優よりも体のバランスが美しくアクションが映えている。
全てのパラメーターが高い傑作作品
この様に『マトリックス』は様々な要素を高水準で映像化している。
アクション・ストーリー・キャスティング・映像など、全てのパラメーターが高い傑作である。
そして、冒頭にも解説したが「悟り」について映像化してしまった問題作でもある。
今後20年経っても新しく感じる作品であるに違いない。
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