※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。

このシリーズはもう紅白歌合戦でよいと思う。

決まり切ったことを素直に楽しめばよいのだ。

・遺伝子操作
・命の平等
・お金の亡者
・脆弱なセキュリティ

これらを混ぜ合わせながら、狂暴な恐竜に対して逃げ回る人間が描かれていれば合格なのである。

愚かな人間が恐竜にガブっと食べられて、善良な人間が生き残り、めでたしめでたしなのである。

 

しかし、今回の作品はそのテンプレートを破ってしまった。

 

まず、いつものように島で大暴れする恐竜たちは爽快だ。

火山の噴火と、逃げ惑う恐竜と人間。

この迫力はすごい。

しかし、島から屋敷に恐竜が密輸されてからはクールダウン。

当然だ。

屋敷では空間的な制限があり、恐竜たちが暴れる様子はほとんどない。

まぁ、あえてそういったのを狙って作ったと思うのだが、ホラー映画と同じように、このシリーズには定番のシナリオを視聴者も求めているのである。

建物の中を恐竜が暴れても、消化不良になるのは当然だ。

 

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監督があえてサスペンス風にしてしまった・・・

中盤までの火山が噴火する場面は圧巻。

そこから逃げ惑う恐竜の迫力も満点だ。

しかし、後半は屋敷の中で繰り広げられる。

それは、まるでサスペンスを見ているような感じだ。

実は、今回の監督J・A・バヨナはそれを意図的に狙った。

あえて、狭いスペースに恐竜と人間を配置することで、今までと違ったスリリングさを狙ったのだ。

しかし、これは短時間だからこそ効果がある技だ。

スピルバーグもよく使うが、狭いスペースの中で敵に隠れ、身を潜め、何かを落としてしまい音でバレてしまう。

こういった緊張感は、スケールの大きな場所のアクセントとして効果的である。

しかし、今回の作品の場合、後半の1時間はすべて屋敷の中だ。

ジュラシックパークファンは、サスペンスをみたいわけではない。

恐竜が飛んだり、跳ねたり、走ったり、大暴れするところがみたいのである。

サスペンス的な緊張感は生まれたかもしれないが、それは別の怪物でやってくれという話だ。

ただ、前半と後半が逆だったら、間違いなく名作となっていただだろう。

サスペンスが得意という監督のエゴが勝ってしまい、それは皮肉にも作品中にもある人間のエゴと同じなのである。

 

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