※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。
「2001年宇宙の旅」のタイトルは、映画がそんなに好きでない人でも1度は聞くキーワードだと思う。
最新SF映画のレビューを調べている時など、必ず出てくるキーワードだ。
つまり「比較」に使われるような映画なのである。
「2001年宇宙の旅には全然及ばない」とか、「2001年宇宙の旅より劣る」とか、最新SF映画には必ず比較として使われる。
30年以上も前の映画なのに、最新技術を盛り込んだ今の映画と比べられるのも可哀想なのだが、この映画はそれくらい特別なのである。
監督であるキューブリックは、2001年宇宙の旅を作るときに「語り草になるようなSF映画を作りたい」と言っていたそうだ。
まさにその通りになっているから凄い。
まだ人類が月に行く前の宇宙映画にもかかわらず、コンピューターグラフィックなども全然普及していない時代にもかかわらず、これを超えるSF映画は出ていないのである。
SF映画の最高峰である「スターウォーズ」の監督であるジョージ・ルーカスはこう語る「スターウォーズと技術的な面での比較は出来ても内容は2001年宇宙の旅に遠く及ばない」。
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名作、でも意味不明?
この様に、映画が好きな人は「2001年宇宙の旅」をめちゃくちゃ評価をする。
だからこそ、それを聞いた人の期待値は上がる。
ただ、「スター・ウォーズ」より遥かに凄い映画なのか、とワクワクしながら観ると、見事に愕然とするはずだ。
なぜなら、抽象度が高過ぎる映画だからである。
つまり、具体性がほぼないのである。
ストーリーに対する解説(セリフなど)、ヒントがほぼ皆無なのだ。
恐らくほとんどの人は「意味不明」と感じるだろう。
普通の映画のように、主人公が困難に立ち向かったり、恋愛したり、強敵と戦ったり、といったエンタメ性はゼロなのである。
無駄を極限まで切り落とし、宇宙の謎と人間の進化を極限まで考え抜いた作品なのである。
ナレーションもカット
当初は映画をわかりやすく展開させる為にナレーションが付く予定だった。
しかし、キューブリックはそれもカットした。
ナレーションが加わることで、説明過多となってしまい観る者の想像性を失わせてしまうからである。
この映画は、とにかく『想像性』は重要なキーワードだ。
キューブリックも想像性をフル稼働して、宇宙・宇宙船のデザインなどを表現している。
ここに余計な説明(ナレーション)は必要ないのである。
抽象と具体
なぜこれほどまでに抽象的な映画にしたのか?
キューブリックはこうヒントを解説している。
「もしも、この映画が一度見ただけで理解されたのなら、われわれの意図は失敗したことになる。」
つまり、一回目観て意味不明なのは当然なのである。
ではなぜこの様な、難解な映画にしたのか?
抽象と具体についてみてみよう。
まず、『具体』とは具体的なことである。
大きさも、色も、形も、なにもかも、わかりやすく具体的なモノである。
「あそこの木は、20メールの大きさで、樹齢100年で、葉の色は緑色で、夏になると赤い花が咲きます」
この様な解説だ。
これに、対し抽象的に表現すると「あれは植物だ」である。
具体的→「あそこの木は、20メールの大きさで、樹齢100年で、葉の色は緑色で、夏になると赤い花が咲きます」
抽象的→「あれは植物だ」
具体的な解説の方が当然わかりやすい。
しかし、すべの答えが表示されているので、想像力は必要ない。
だから、それ以外のことを感じることができなくなってしまう。
逆に「あれは植物だ」という表現しかなかったら、頭の中で今までの記憶から「植物」を想像しなければならない。
それにより、自分だけの「植物」が広がっていくことになる。
どんな形なのか?どんな色なのか?どんな大きさか?
実は、これが宇宙なのだ。
頭の中でどんどん宇宙が広がっていく。
想像力という武器を最大限に活用しながら。
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小説→漫画→映画
小説が映画化されるとガッカリすることの方が多いのは、自分の宇宙を壊されたのが理由だ。
小説は文字だけであり、それは抽象度が高い。
自分の頭で想像するしかない。
主人公の顔、声、匂い、などなど想像するからこそ自分の宇宙が広がるのだ。
これが具体的になってしまったらどうだ?
勝手に映画監督のイメージに当てはめられ、自分で作った宇宙が壊れてしまう・・・
だからこそ小説からの映画化は不評が多いのである。
漫画はどうだ?
たまにカラー版になることがある。
色が加わったことにより、具体的になった。
しかし、これも自分が想像していた色と違う為、宇宙が壊されることになる・・・
だからこそ、カラー漫画は面白くないのである。
モノリスという抽象物体
2001年宇宙の旅では「モノリス」という謎の大きな石版が出てくる。
これが本当に凄い抽象アイテムなのである。
「この黒く大きな石版は一体何か?」
とにかく想像力を働かせるしかないのである。
具体的な解説は一切ないので、どんな時にモノリスが出てきて、その後どうなっているのか?を考え、想像していくしかないのだ。
(2001年宇宙の達の小説版では、より具体的に書かれているが、映画の中でもヒントはたくさんある。)
モノリスの正体
モノリスの正体は・・・
人間以上の知性を持った生物が作った高性能ロボットである。
映画中の役割は3パターンある。
①他の知的生命体(人間)の調査&進化の手助けする役割
②知的生命体(人間)の宇宙進出を知らせる役割
③知的生命体(人間)を自分の元に送り込む空間転送の役割
モノリスを作った創造主が『神』という位置づけかどうかはわからない・・・
しかし、ここで面白いのが「ハル」と「モノリス」の比較だ。
「ハル」と「モノリス」の対比
人間が作った人工知能「ハル」は、バグを起こし人間を殺してしまうことになる。
ハルは最終的に人間的な感情をもち、嫉妬や、恐怖、媚びなど、様々な表情を見せる。
この映画において、唯一「人間的」なキャラクターである。
それに比べ「モノリス」は、当然感情など表現されていない。
ただの大きな黒い石版である。
しかし、そこには猿を人間に進化させる手助けをしたり、まぎれもなく判断能力が備わっている。
欠陥もあるが、感情もある「ハル」。
欠陥はないが、感情もない「モノリス」。
進化をすると、感情を使う必要がないのか?
この辺も見どころの一つなのである。
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ラストの赤ん坊
ラストの赤ん坊(スターチャイルド)は当然だが、人類が進化した姿だ。
ボーマンがモノリスによって、創造主へ宇宙転送され、進化されたわけだ。
この進化がどんな違いをもたらせたのか?
これは何も表現されていない。
恐らく人間が克服したい最大のもの=「死」の超越などではないだろうか?
創造主はそれを手に入れているからこそ、猿から人間へ進化した300万年後も存在しているのだ。
つまり、生物的な肉体や、脳さえないのかもしれない。
だからこそスターチャイルドは、まだまだ進化系の生物なのである。
2001年宇宙の旅まとめ
当然だが、この映画に答えはない。
観る者が最大限の想像力を使って楽しめればキューブリック監督も喜ぶと思う(笑)
「語り草になるようなSF映画を作りたい」
この思想は、すでに2001年を超えている現在においても色あせることはない。
当時の科学・生物学・物理学の権威を集めて、未来を議論したほど細部に拘った極上の映画だ。
具体的な要素が多いエンタメに慣れてしまった方は、最初は難解に感じるかもしれないが、五感を研ぎ澄まし、その抽象空間に身を委ねれば、人生を変えるほどの映像体験が待っている。
キューブリックが神に挑んだ歴史的な作品なのである。
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