※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。
疑問やツッコミ所はあるかもしれないが、間違いなく100点の映画だ。
なぜなら、この映画はボクの持つ恐怖を1つ軽減してくれたからだ。
それは何か?
家族と永続的な繋がりだ。
死後、いったいどうなるか?
これは誰にもわからない。
死んで、子供達に会えなくなるのがボクは1番辛いし、恐怖だ。
「インターステラー」の物語と同じように、ボクには息子と娘がいる。
恐らく、娘がいる父親がこの映画をみると、特別な感情を抱くと思う。
決してスピリチュアル的思想ではない。
ただ、『5次元』という希望は宗教を超越した概念だと感じた。
もしかしたら、死後の世界も5次元的な空間があり、家族と繋がれるかもしれない・・・
どこか別の次元で、子供の成長を見守れるかもしれない・・・
そう考えると、少しだけ死の恐怖が軽減される。
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久しぶりに大泣きした
主人公のクーパーは、人類の次なる生活拠点を見つけるべく宇宙に旅立つ。
それは、愛する家族と時間的にも、空間的にも絶望的な距離を意味する。
宇宙の重力によって、ある星においての1時間が、地球では24年になってしまうこともある。
ビデオメッセージを受信すると、そこには大人になった子供たちが登場するのだ。
このどうしようもない程の距離感が、実に切ないのである。
クライマックスになるとクーパーは、ブラックホールに引き込まれる。
その中で、時空を超越するシーンになる。
この5次元を表現する映像は本当に凄い!
そして、主人公の娘であるマーフィーにメッセージを送り続ける。
宇宙空間で生活できる最後の鍵であるブラックホールの粒子の謎を、バイナリーデータとして伝えるのだ。
それが、小さい頃から怪奇現象だと思っていたことが、実は父のメッセージだったわけだ。
父の生還を諦めていた娘にとって、実は時空を超えて父が伝えていたことは、冒頭の伏線を見事に回収し、最大級の感動を同時に与える。
マーフィーが、どんどん父のメッセージに気づいていく流れには、涙が止まらなかった。
人類を救うための仕事として、自分が選ばれたと思っていたクーパーだったが、選ばれていたのは娘のマーフィーだったのだ。
自分はその橋渡し役であり、昔から続いていた娘の部屋の怪奇現象は自分が行っていたものだったのである。
時間が大きく経過する物語は、やはり心を打つ。
ここでも「時間」の概念を考えさせられる。
ラストの意味は?
奇跡的に宇宙コロニーに帰還できたクーパーだが、すでに124歳になっていた。
マーフィーの研究によって人類は宇宙コロニーで生活できるようになったのだ。
そんなマーフィーだが、彼女もすでに高齢。
最後の2年間はカプセルで眠っていたのだ。
恐らく、帰ってくるクーパーの為に死期をギリギリまで伸ばしたのだろう。
マーフィーとの再会は本当に感動的だ。
小さい頃のマーフィーが、どんどんフィードバックしてくる。
ただ、最後のメッセージは「アメリア」についてだったのだ。
「エドモンドの星にアメリアはいる」
そう、アメリアはエドモンドの星について人類の到着をずっとまっているのだ。
最後のシーンで、アメリアは宇宙服のヘルメットを脱ぐ。
そして、ベースキャンプが写されるのだが、これに驚く。
ベースキャンプは今にも生活できるほど設備が整い、明かりが煌々としているのだ!
まるで、何人かがすでに生活しているような雰囲気。
このラストシーンの意味はいったい何か?
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ラストシーンは「なぜアメリアはヘルメットを被っていたのか?」という疑問が残る。
これは2つの可能性がある。
①アメリアがエドマンドに到着したばかりだった
②酸素はあるが、少し薄いので宇宙服を装着していた
どちらの可能性もありそうだが、最後のベースキャンプをみてみると星条旗が掲げられている。
そして、先にいたエドマンドの星条旗はボロボロになっているシーンがある。
つまり、最後のシーンのベースキャンプの星条旗はアメリアが立てたものであり、すでに到着していたということだ。
よって、②の酸素はあるが、少し薄いので宇宙服を装着していたことになる。
また、恐らく視聴者に「この星は酸素がある」ということを伝える効果もあったのだろう。
そして、アメリアはエドマンドに会えたのか?
これは残念ながらわからない。
エドマンドのお墓がでてくるが、これはロボッタが作った可能性が高い。
ロボットが地面を掘るシーンが最後にあるからだ。
ただ、ベースキャンプの周りには様々な施設があり、これはエドマンドが準備したものであろう。
食糧が自給できるような「ハウス」のようなものもあった。
人類愛がテーマの映画において、このラストはかなり秀逸だと思う。
なぜなら、マンはカプセルで寝ているだけだったから。
映画の中盤でマン星か?エドマンド星か?どちらに行くか迷うシーンがある。
マン星からはマン博士からの信号が来ている。
人類が住める星の可能性が高い。
しかし、アメリアはエドマンドを希望した。
なぜなら、エドマンドが恋人だったから。
「恋人だからだろ?」とクーパーに問われると、こう返す。
「愛に特別な意味があって、本当の意味をまだ人類は理解していないだけかもしれない」
つまり、愛の方向へ向かいましょう、ということだ。
しかし、結局はマン星に行ってしまい、マン博士に裏切られることになる。
マン博士は孤独に耐えきれず、ずっと睡眠装置に入っていた。
マン博士は天才だったかもしれないが、結局は人類というより、自分を大切にしてしまったのだ。
では、エドマンドはどうか?
ベースキャンプを設備し、食料が自給できるよう準備していたのだ。
ここに抽象度の高い「愛」が存在し、それがラストシーンというのは、凄いセンスを感じる。
宇宙が中心の映画だけに、「相対性理論」など難しい概念が出てくる。
ただ、こういったものがわからなくても十分楽しめるように配慮したのはさすがだ。
科学に詳しく、こういった概念に精通している人は、さらに楽しめたと思う。
インターステラーの愛のテーマは、哲学的であり、未来的でもあり、心を揺さぶられる3時間だった。
ボクは死ぬ前に娘に渡せるDVDができて本当に満足している。
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