※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。
予告映像や、タイトルから、トラと少年が漂流する話だと思っていたのだが、後半からどんどん雲行きが怪しくなるではないか。
海の美しい映像や、リアルなトラ、ありえない情景が映し出され、どんどんファンタジー色が強くなっていく。
そして、ラストになると驚愕の『もう一つの話』が登場するのだ。
それは漂流した時の本当の生々しい体験である。
漂流したとき、パイの話ではパイ、トラ、オラウータン、ハイエナ、シマウマが救命ボートに乗っていた。
しかし、この奇妙な動物との漂流記は、パイの悲しみを和らげるおとぎ話だったのである。
本来の過酷な状況、そして思い出したくない記憶、これらを浄化する為に面白おかしくファンタジーに作り上げた話だったのだ。
では、その驚愕の事実とは一体何か?
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漂流生活の事実
動物が救命ボートに乗る話は、実は思い出したくない漂流生活の悲しみを和らげるものであった。
事実は下記の通りである。
パイの話ではシマウマは怪我をしていた。
徐々に弱っていくシマウマに対して、ハイエナは食べようとする。
止めようとするオラウータン、そして、同じく止めようとするトラ。
しかし、事実は救命ボートに乗ったのはパイと、パイの母、意地悪な料理長、仏教徒の青年の4人だった。
トラ=パイ
オラウータン=パイの母
ハイエナ=意地悪な料理長
シマウマ=仏教徒の青年
上記が漂流時の本当のメンバーだったのだ。
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料理長は嫌な奴だったがサバイバル術に優れていた。
ねずみを天日干しにしたり、イカダを作って魚を捕ったりした。
仏教徒の青年は、ボートに飛び乗るときに足を骨折してしまい化膿していた。
知識のあった料理長は、青年は足を切断しなければ死んでしまうと判断した。
仏教徒の青年を救う為に、パイも協力して足の切断を手伝った。
しかし、それでも青年は亡くなってしまった。
その次の朝、料理長の行った行動にパイは驚く。
なんと、青年の足を餌にして魚をつっていたのだ。
この行動に激しく怒るパイの母。
料理長とパイの母は口論となり、母の危険を感じたパイであったが、料理長はなんと仏教徒の青年の足を食べ始めたのだった。
料理長もバカではなく、魚釣りなど協力した方が生き残る確率が高くなることを知っていたのだ。
しかし、ある時、パイは釣りでヘマをしてしまう。
漂流の極限状態から料理長は激しくパイを殴るのだった。
助けに入った母は、パイをイカダに乗せて応戦する。
しかし、料理長はナイフを持っていて、母を刺してしまった。
そして、料理長はすぐにパイの母を海に投げ捨て、集まってきたサメに食べられてしまう。
翌日、パイは料理長を殺すのだった。
料理長は母への罪悪感からか、抵抗する様子もなく、パイに息の根を止められるのであった。
そして、料理長が仏教徒の青年にしたことを、パイもするのである。
それは、肉を食べることを意味するのであった。
そうして、一人ぼっちで生き延びたのだ。
「母を先にイカダに乗せるべきだった」とパイは毎日苦しむ。
その悲しみを癒す為に、動物と救命ボートになるおとぎ話を作り上げたのだ。
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動物の話も、人間の話も、海で起きたこの2つの物語、どちらの話もパイは家族を亡くし悲しんだ。
そして、物語のラストで「どちらがいい?」とパイは小説家に尋ねる。
小説家は「動物の話だ」と答える。
するとパイは、「ありがとう」と言う。
ミーアキャットの島は何だったのか?
漂流生活も極限状態になった時、パイはある島に辿り着く。
その島には大量のミーアキャットがいて、水も食料も豊富だ。
もちろん、地図上にそんな島はない。
つまり、これもパイの話の一部であり、極限状態の最後に見た(考えた)ものである。
そして、島の形状から『パイの信仰心の答え』と考えるとよいだろう。
この島は植物も食物も水も豊富だ。しかし、魚を溶かす酸の池があったり危険もある。
まるで、島が生きているようである。
すべての資源が豊富にあったら人間はどうなるか?それは本当に楽園なのか?
パイは今まで危険のない裕福な生活をしてきた。
だからこそ自宅(動物園)では、トラに興味を持ったのである。
そして、ヤギがあっとう間に食べられてしまう現実もみた。
そして、今度は実際に自分が厳しさに遭遇する。
パイは常に偉大な神と向き合いたいと願っていた。
その答えが、この浮き島なのである。
つまり、すべての生物は、自然に調和する為に生きているということだ。
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