※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。

1つ1つのシーンが全てお洒落で、何度も観たくなるような映画が「バッファロー 66」だ。

同情?共感?何かわからないような感情が主人公に対して感じるのである。

口も態度も悪い主人公なのに、なぜか応援したくなるのである。

それは冒頭から始まる。

刑務所から釈放される主人公ビリー・ブラウン(ヴィンセント・ギャロ)。

トイレに行きたいのだが、なかなか行けないのだ。

「清掃中」であったり、「閉店」していたり、なかなかトイレに行けない。

刑務所にいた男が、清掃中のトイレに入れないのだ。

この冒頭のシーンで、複雑な主人公の性格を数分で表しているのである。この強烈な演出に脱帽だ。(走り方も凄くいい^^)

しかも、やっと入れたトイレで隣にいた男に小言を言われただけで、でなくなってしまう。

口や態度はめちゃくちゃ悪いが、非常にナイーブな性格なのである。

そんなナイーブな男が、実家の両親に会いに行く物語である。

 

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優しいビリー

刑務所に入っている間も、友達に頼み家族に葉書を送る優しいビリー。

ビリーは両親に対して深い愛を持っているが、この両親が曲者だ。

母のジャンは熱狂的なアメフトファン。

応援しているチームが優勝した1966年、ビリーの出産の為観戦できなかったことを根にもっている。

父も気難しく、とくに料理や、食事中のマナーにうるさい。

こういった過程から、ビリーは子供のころから両親からの愛情がほとんどなかったことがわかる。

しかし、一方ビリーは、両親からの愛情を今でも求めており、何とか振り向かせようと努力をする。

 

クリスティーナリッチに妻のフリをさせる

両親を振り向かせたい為に、妻を連れて帰ると連絡するビリー。

しかし、刑務所にいたので当然彼女もいない。

そんな時、偶然すれ違ったレイラ(クリスティーナリッチ)を脅迫して、家族に会わせる計画を立てる。

最初は嫌々ながらも、両親との会話をいくうちにビリーに対して同情するレイラであった。

そして、横暴で気難しいビリーは、本当は優しく繊細な男とわかり、惹かれていくのである。

 

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ラストはハッピー

 

実家のあるバッファローに戻った理由は両親に会う以外にも目的があった。

それは、刑務所に入る理由となったある事件による。

数年前、ビリーはスーパーボールで100万ドルを賭けていた。

しかし、スコットという賭けていた方の選手に八百長疑惑があり、賭けに負けてしまったのである。

足りないお金によって、賭け元から脅迫され、その賭け元の友達の代わりに刑務所に入ることになったのであった。

だからこそ、八百長疑惑のスコットをどうしても許せないビリー。

現在スコットはストリップを経営しており、銃での殺害を企てる。

ただ、いざスコットを目の前にすると、「アメフトにしかない母、食事にしか興味がない父、そして殺す価値もないようなスコット」を想像し、また刑務所に行くことをバカバカしいと感じるようになる。

 

他人はどうすることもできない

この映画、一言でいうと「どうすることも出来ない他人はほっておけ」ということだと思う。

アメフト好きな母、料理にしか関心がない父、どうやっても振り向かせることは出来ない。

そして、恋心をよせていたウェンディ。

ロッカーに写真を貼るくらい好きだったウェンディだが、レストランで婚約者といちゃつきまくる。

これに「生きていけない」と幻滅する。

しかし、他人はどうすることもできないのである。

それをスコット殺害の時に気づき、やっと解放されるビリー。

最後はレイラの為に、ココアとクッキーを購入するのである。

 

男にとっては「あるある」の連続

この映画、男にとっての「あるある」を結構ぶち込んでくる。

関心されない両親から愛されたいと思う気持ちは、誰にでもある「あるある」であろう。

そして、好きだった女性「あるある」だ。

自分の思っている像と、あまりにもかけ離れていた場合、「生きていけない」と思う気持ちもわかる。

ビリーが思っていたウェンディの性格と、相当かけ離れていたのであろう。

それは単純に「婚約者がいた」ということだけではなく、レストランでいちゃつく姿に理想が一気に悲しみに変わってしまった瞬間なのだ。

そんな「他人はどうすることもできない」と気づいたビリーが、「自分を変えること」に気づき、カフェの店員に「急いでないよ」というラストに心を癒されるのである。

 

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