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※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。

この映画は誰が観ても感動する作品だと思う。

しかも、押しつけがましさもなく自然に染み込むように入ってくる。

ただ、地方に住む「長男」の方が観ると、また違った作品に見えるであろう。

「家柄」という呪いから逃げられない葛藤。背負わなければならない責任など、本作の主人公であるギルバート・グレイプの心情が痛いほどわかるのだ。

「好きなことをしろ!」とか「自由に生きろ!」とか「旅に出ろ」とか、無責任な自己啓発本や、悟ったフリをするミュージシャンは叫ぶ。

しかし、それが出来ない人も世の中にはいるのだ。

自分の人生だから自分の好きなように生きた方が良いのは100も承知。しかし、抜き差しならない状況で生きている人もたくさんいる。

そんな「希望」と「現実」の中でもがく「葛藤」を描いたのが『ギルバート・グレイプ』なのだ。

 

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町から出れないギルバート

ギルバート(ジョニー・デップ)はアイオワ州の小さな町に住んでいる。

父親は他界し、長男も町を出ているので、母と妹2人、そして知的障害を持つ弟アーニー(レオナルド・ディカプリオ)の面倒を見なければならない。

しかも、母は過食症で超肥満。夫が他界したショックで食に走り、家から一歩もでない生活を送っている。

この一家を支えるのは並大抵ではない。

弟アーニーは、目を離すとすぐに問題を起こす。

給水塔に昇ってしまい、救助隊のお世話になることもしょっちゅうだ。

そして、ギルバートは近所の食料品店で働き、一家を支えている。

そんな食料品店も、近くに大型スーパーが出来てお客は減少。

視聴者から観ると、明るい未来が見えないように映るギルバートなのだが、本人は淡々としているのであった。

 

ベッキーとの出会い

トレーラーで祖母と旅をしているベッキー(ジュリエット・ルイス)。

そんなベッキーであったが、ギルバートの町でトレーラーが故障してしまう。

トレーラーが修理する間、町に滞在するベッキーは食料品店でギルバートと出会い触れ合うようになる。

町から出たことのないギルバートと、色々な場所へ旅し人生を横臥するベッキー。

そして、人生の価値感がしっかりしているベッキーに対して、どんどん惹かれていくギルバート。

また、ベッキーが「なりたいこと」を聞くと、ギルバートは家族の為のことしか答えない。

家族に新しい家を買うとか、自分のやりたい事が一つもないのだ。

少し不憫なギルバートであるが、ベッキーは家族を大切にするギルバートに惹かれていくのだ。

なぜなら、ベッキーの両親は離婚しており、引っ越しなどを何度も繰り返す経験から、温かい家族に憧れているからである。

 

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感情が爆発し町を出ようとするギルバート

ベッキーと接する機会が増え、アーニーをないがしろにするようになるギルバード。

アーニーをお風呂に入れる時も、少しでも早くベッキーの元へ行きたいので、自分でタオルで拭いて服を着ろというギルバート。

しかし、翌朝バスルームに行くとアーニーは浴槽に入ったままだったのである。

浴槽も当然冷たくなっていて万が一の場合もあった状況だ。

そこで皆に攻められるギルバート。

また、再度ベッキーと話していた時に、アーニーが逃走し給水塔に昇ってしまう。

事態を重くみた警察は、なんとアーニーを拘留してしまうのだ。

すると、今まで家から出たことがなかった母が立ち上がる。

アーニーの為に、警察署に出向くのであった。

しかし、母が警察署に行ったことは町中の噂となり、冷やかす人だかりだできてしまう。

この事件によって、ギルバートも他の家族も深く傷つくであった。

さらに、誕生会を翌日に控えるアーニーは、興奮のあまり皆の邪魔をする。

エイミーがせっかく作ったケーキもアーニーがぶつかり床に落ちてしまった。

時間がないので、新しくできたスーパーにケーキを買いに行くギルバート。

しかし、その姿を勤め先の食料品店の店主に見つかってしまう。

アーニーがケーキを落とさなければこんな事にならなかったのに・・・

しかも、買ってきたケーキも食べてしまう。こういった怒りによって、なんとアーニーを殴ってしまうギルバート。

今まで抑えていた感情が爆発し、無言で家を出てしまうのであった。

怒りにまかせて町を出ようとするが、町の境目からでれないのである。

この呪縛のやり切れなさ、どうにもできない状況が町の境目で表現されている。

ボクはこのシーンが一番ジーンとくる。

 

呪縛からの解放

アーニーの誕生会当日、ベッキーも参加し、母親と会うことになる。

母は誰とも会うことをしなかったが、ギルバートの強い意志でベッキーに会ってもらったのだ。

細かい会話のやりとりなどはないが、ここで明らかに何かが変わる母。

ベッキーの偏見のない接し方かもしれないし、ギルバートが女性を連れてきたからかもしれない。

母の中で何かが変わったのだ。

そして、いつもは1階のソファーで寝ているのに、2階のベッドで寝ようとするのだ。

しかし、その日に母は息を引き取るのであった。

ただ、一つ問題がある。

それは母の遺体をどうやって運ぶかだ。

大がかりにすると、また見物客などが来て笑いものにされてしまう。

そこで、家ごと火葬することにするのである。

今まで縛られていた家ごと燃やしてしまうのだ。

そして、家族は別の町へ引っ越すのであった。

それは様々な呪縛からの解放でもあったのだ。

 

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曖昧(あいまい)性による引き込み

本作は明確な答えをあえて出さないスタイルを多用している。

例えば、ラストで母は本当に自然死なのか?もしかすると自害の可能性もある。

自分が家族を縛り付けていることを悟り、自分の死以外では家族を開放できないと悟った結果なのかもしれない。

また、不倫相手であったベティの夫カーヴァー。

カーヴァーは2人の不倫に気づいていたのか?ギルバートをオフィスに来させた理由は本当に保険の勧誘か?

そして、カーヴァーのプール事故。

ヒステリックとなったベティや、浮気を主人に告白したのかもしれない。

この様に、あえて明確に答えを見せず曖昧性を出すことで視聴者を引き込み、考える時間を与えているのだ。

 

数々のメタファ

この映画には様々なメタファが用いられている。

例えば、アーニーが持っている瓶に入れている昆虫。そして新しく出来たスーパーの目玉である水槽に入ったロブスター。

これらは当然「閉鎖感」を表しており、ギルバートそのものである。

また、アーニーが郵便受けで遊んでいたカマキリは、残された妻を表している。

つまり、ギルバートの母と、不倫関係のベティだ。

そして、アイスクリームも効果的な使われ方をしている。

この様に、無駄なシーンが一切なく、そのどれも自然に写しだされるので違和感がないのである。

まだ、ブレイクする前のレオナルド・ディカプリオやジュリエットルイスを起用したり、ジョニー・デップを田舎で縛られる役にしたり、キャスティングも完璧だ。

役者とアイテムを使いこなすラッセ・ハルストレム監督の手腕に脱帽するしかないのである。

人生において、何かに縛られ苦しんでいる状況であれば、この映画の中で何かヒントが見つかるかもしれない。

 

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