※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。

この映画の凄い所は「次、こうなったら面白いんじゃね?」という視聴者の考えるタイミングで展開することだ。

「この展開凄いだろ!」という脚本家の自己満足ではなく、視聴者が「だいたい読めたね~」って思わせるようになっているのだ。

ゆったりお互いを探り合う前半のパートは、ゆっくり、ゆっくり進ませる。

パックマンのくだりから、「ん!このパラレルワールドって・・・」と考えさせる時間を作る。

まず1つ目のヒントとして、今いる場所の認識がそれぞれ違うことが演出される。

1人はニューハンプシャー、もう1人はウィスコンシン、そしてもう1人はシアトル。

この辺から異次元空間の匂いがしてくるのだ。

そして「皆の住む時代が異なっていたら面白そうだな」と思わせる。(それしか展開がないから)

そして今度は「皆、実は血縁関係なんじぇね?」と思わせる。(それしか展開がないから)

そして最後は「これ、未来を変える為じゃね?」というゴールを導き出させるのだ。

視聴者は、いかにも「内容が読めたぜ」的な優越感に浸れるが、実はそれが映画の狙いだったのである。

なぜなら、視聴者に作品の未来を読ませることで、登場人物が未来を変えることに共感するからである。

いかにも一緒に未来を変えているような感覚まで与えてくれるのだ。

 

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あらすじと感想

森の中の古びた小屋に偶然集まった男女3人。

唯一の男性トムは、森の中で車が溝に落ちてしまい小屋に辿り着いた。

落ち着いた感じの女性サマンサは、車がガス欠になり夫と別行動の末、小屋に辿り着いた。

そしてもう一人の女性ジョディは、彼氏と喧嘩して森の中で車から降ろされ、小屋に辿り着いた。

まず、こんな偶然が重なるはずはないので、映画に対して不安になるのだが、ここからが面白い。

まず、小屋の場所(現在地)の認識がそれぞれ異なるのである。

そして、なんと生きている時代も違う。

さらに、実はみんな血縁関係だったのだ。

サマンサの子供が、ジョディであり、ジョディの子供がトムなのである。

そして、みんなそれぞれ不幸を背負っている。

小屋に集められたのは未来を変える為だと気づき、最後のピースであるサマンサの父であるドイツ軍人のハンスを助けようとするのだ。

ハンスを助けることで、サマンサが変わり、サマンサが変わることで、ジョディが変わり、ジョディが変わることで、トムが変わるという流れだ。

ただ、言葉の壁があったり、なかなか信じないハンスがごねるから大変(笑)

トムもジョディもどんどん消えてしまうが、サマンサがなんとかハンスを防空壕に避難させるのだった。

 

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ラストはハッピーエンド

時系列が土台となっている映画は、突っ込もうと思えばいくらでも突っ込める。

時間という概念が3次元にいる我々では理解できないので、突っ込むしか選択肢がなくなってしまうのだ。

ただし、映画に対してそれをやるのはナンセンス。

映画なんだから、その設定を楽しめばよいのである。

その点、この『トランスワールド』はわかりやすいハッピーエンドになっている。

「慈善家ハンスノイマン」が亡くなった新聞が表示され、つまりあの時助けたドイツ軍人だったサマンサの父ハンスは助かり、慈善家として著名人になっていたのだ。

そして、海辺の家をみるからに、相当な富を得たのがわかる。

ラスト、サマンサが持っているのはハンスの遺骨であろう。

トムはまだ生まれていないが、あの後、それぞれが幸せに暮らしているのが演出されているラストである。

低予算であり、登場人物は数人、ロケーションも少ない、それでもアイディア次第でこういった傑作が作れるということを証明した映画だ。

 

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