※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。

本作『ファイトクラブ』は、何度かサブリミナル効果としてブラットピットが登場する。

ほんの一瞬程度であるが、登場前のブラピが何度か写るのだ。

作品の意図として、エドワートノートンのこれからの暗示としての遊び心であろう。

しかし、サブリミナル効果というのは最も効率的に洗脳できる手法でもある。

例えば、有名な話だが、昔映画館で一瞬だけコーラをサブリミナル的に写したことがある。

すると、その映画館のコーラの売り上げは何倍にもなったのだ。

このように、サブリミナル効果というのは人間の無意識に刷り込む危険な手法なのである。

本作ではブラピが何度かサブリミナル的に登場するが、これにより潜在意識にブラピが刷り込まれて、常にブラピを意識するようになってしまうのだ。

もちろん、この作品が公開された時にはハリウッドスターであったが、このサブリミナル効果の影響も何かしらあるはずである。

この様に監督は表向きは遊び心かもしれないが、作品のメインテーマである「物質社会への警笛」についてサブリミナル効果で皮肉っている。

つまり、物を欲しくさせるのはメディアの洗脳(広告)であり、その警告についてブラピを使って映画で仕返ししているのだ。

その結果、ブラピの人気は不動のモノとなっている・・・

 

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あらすじ

主人公である「ボク」(エドワードノートン)は自動車会社でストレスを抱える生活を送っている。

給料は良いが、なかなか満たされない生活をするうちに不眠症に悩まされるようになる。

医者に相談するが、もっと酷い悩みを持っている人が世界中にたくさんいる、とアドバイスされ自助コミュニティに参加するようになる。

そこで、様々な悩みを持つ人々に会い、自分の悩みが和らぎ不眠症から解放されるのであった。

しかし、自分と同じように大した悩みではないのに自助コミュニティに参加するマーラという女性に出会い、また不眠症が再発しているのであった。

そんなある日、仕事で飛行機に乗って移動する中、隣に座ったタイラー(ブラットピット)という男と出会いで人生が変わっていく。

自分とは正反対の性格で、自由を愛し、冒険的で、魅力的な人物に写るのであった。

そんなタイラーは突拍子もないことを言い出す。

「オレを本気で殴れ」と言い出すのである。

言われたとおり殴りつけるエドワードノートン。

すると、2人はエキサイトしていきお互いを殴り合うのであった。

当然痛みをともなうのだが、この殴り合いにより「生きている」ことを実感するのだ。

しかし、やがてこの「生の実感」がどんどんエキサイトしていくのであった・・・

 

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ラストはどうなる?

殴り合いをすることで「生を実感する」という価値観が、どんどん浸透していき、やがて組織となっていく。

これが「ファイト・クラブ」である。

「このクラブを外部に漏らしてはいけない」など、様々なルールも誕生し、巨大な組織になっていく。

組織が巨大化してくると、タイラーはとんでもないことを計画するのだ。

元々石鹸を作り販売していたタイラー。その知識から、なんとニトロ(爆弾)を生み出してしまうのだ。

そして、その爆弾を使い金融機関系のビルを破壊する計画を立てる。

物質至上主義を崩壊させるためである。

物では精神は豊にならず、メディア洗脳による購買意欲の歯止めが狙いなのだ。

この思想がファイトクラブ内にも広がり、やがて警察官などにも広まっていくのである。

もはや宗教だ。

しかし、この計画が実行されようとするタイミングでタイラーはいなくなってしまう。

もはやテロ活動になった組織の行動を止めるべく、翻弄するエドワートノートン。

ビルの爆破を止めるべく駆け回るエドワードノートンだが、会う人物の証言に対して違和感を覚えていく。

なぜか、自分の命令のように反応するのである。

そして、悟るのであった、タイラーは自分の二重人格の性格なのだと。

そう、ビルの爆破もすべて自分(タイラー)が計画していたことであったのだ。

ラストで自分が二重人格だと知ったエドワードノートンは、恋人となったマーラをビルの爆破を眺めるのであった。

そして、最後は自分がいるビルも爆破されるのであろう。

「これからはすべて良くなる」という言葉を残しエンドロールをむかえるのである。

 

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