※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。
近所に引っ越してきた気弱な異国人青年と、頑固オヤジの友情物語。このような映画は結構たくさんある。
こういった場合、その気弱な青年に災いが降りかかり、オヤジが師となって問題解決へ向かう。
例えばベストキットの場合、弟子にスキルを教えて問題解決をさせる。
その流れの中で、試練などのイベントが起こり、友情が深まっていくのである。
このようにラストから逆算していくのだが、本作は気弱な青年が自分で問題解決をしない。
師匠である頑固オヤジ(クリント・イーストウッド)が、自分の過去を浄化するために自ら問題解決に取り組むのである。
そして、その解決方法がクリント・イーストウッドの作品の中で最も崇高であり、感動的なのである。
「まさか、こんな方法で問題解決するとは・・・」という手法であり、とんでもなくカッコよく、そしてとんでもなく悲しいのだ。
このラストシーンを観た後、ほとんどの方は動けなくなるほどの感動を味わうことになる。
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目次
細かく深く描くキャラクター
本作では主人公であるウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)の性格を恐ろしいほど丁寧に描いている。
冒頭の妻の葬儀のシーンなどは見事である。
この葬儀シーンだけで、主人公の性格と、家族との関係・距離感が見事に描かれている。
そして、タイトルになるほど重要なアイテムである「グラントリノ」もしっかり印象に残し、さらに「かわいい孫」よりも大切なモノという位置づけで表現するのである。
つまりこの「グラントリノ」がコワルスキーにとってどれほど重要なモノなのかを早めに視聴者に印象付けてくれているのだ。
これによって、息子たちとうまくいっていないシュールさと、頑固で筋が通ったキャラクターとしてスグに感情移入できるのである。
孤独な老人の話ではい
元軍人であり頑固者なコワルスキー。
孤独な老人かと思いきや、実は友達は多く描かれている。
バーで一緒に飲む友達もいれば、心許しあえる床屋の友達もいる。
このように、実はまったくの孤独ではない。逆に友達とは義理人情に厚い。
家族とうまくいっていないだけなのだ。
よって、隣に引っ越してきた移民の青年が、孤独な老人の傷を癒す映画ではないのである。
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罪の十字架
コワルスキーは朝鮮戦争を経験し、多くの命を奪ってきた。
実はそのことが最も深い傷となっているのだ。
上司からの命令であれば、子供も撃たなければならい。そのような過酷な経験を悔いているのだ。
そして、この出来事が本作の最も重要な伏線となるのである。
タオを救う方法
タオやスーに対する嫌がらせがどんどんエスカレートしていく従妹のギャング達。
タオの為にと、ギャングの一人をコワルスキーが脅したことによってギャングは一線を越えてしまうのである。
自分のせいで、タオとスーの今後の人生が悪い方へいってしまうことを危惧するコワルスキー。
ギャング達をやっけなければならない。
ギャング全員を倒して、自分が刑務所へいけばよい・・・とは考えないのである。
なぜなら、朝鮮戦争にて子供や青年を撃ったことを死ぬほど後悔しているからだ。
憎いギャングであっても、もう二度と人を撃つことはできないのである。
では、どのように解決するのか?
ギャングのアジトへ乗り込み、銃を撃つふりをして、自分が撃たれるのである。
これにより、ギャング達を長期的に刑務所へ送ることができる。
この「自己犠牲」によって、タオを救ったのであった。
ラストのスーが辛すぎる
ラストに向けて、コワルスキーが命を懸けてまでタオやスーを守る動機が必要となる。
強い怒りをおこす、強力な起爆剤が必要なのである。
本作はそれをスーへの強姦にした。
これは結構ショッキングなシーンである。
あの優しくて頭がよくて芯のあるスーが、ギャング達に・・・と思うとかなり辛い。しかもスーはまだ10代である。
コワルスキーが強い復讐心を持つために、強力なきっかけが必要なのはわかるが、別の方法はなかったのか?
このシーンはかなり胸が痛む・・・
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