※この記事には作品の感想(ネタバレ)が書かれておりますのでご注意ください。
第二次世界大戦のホロコーストを土台に、今までにない家族愛を表現したのが『ライフ・イズ・ビューティフル』である。
主演・監督・脚本を担当したロベルト・ベニーニ渾身の作品であり、歴史に残る名作なのは間違いない。
コンセプトは子供に対する無償の愛であろう。
生と死の隣り合わせの緊迫した環境の中、子供を怖がらせまいとする父の気遣いには涙が止まらなくなる。
強制労働により身も心もズタボロの中、唯一の希望である子供を第一に考える姿は感動的である。
強制収容所の絶望を、ゲームに変換し、恐怖を緩和させ、されにゲームで高得点を得れば戦車がもらえるというように転換するのだ。
ドイツ人をゲームの敵キャラに仕立て、強制労働を得点稼ぎのポイントにするという発想。
そして、食料やわがままはマイナスポイントになるという機転。
前半のちゃらちゃらしたキャラクターが、後半のコントラストをより強め、全ての伏線を見事に回収していくのである。
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目次
前半と後半で180度変わる主人公の印象
本作の主人公であるグイド(ロベルト・ベニーニ)はポジティブで楽天的な性格に描かれている。
そして頭の回転が速く、臨機応変に何でも対応できるような人物だ。
こういった性格により、ピンチを切り抜け、チャンスを掴む能力に長けている。
そして、必ず手に入れたいものは、なんとしても手に入れようとする強い意志もある。
だからこそ、最愛の妻と息子を手に入れられたのだ。
ただ、見方によって前半は「お調子者」という印象を受けるだろう。
「名作と聞いていたのに、なんだこのキャラは?」と肩透かしを喰うかもしれない(笑)
しかし、それも全て計算であり、このチャラけた男が後半に魅せる父の顔は、入念にチャラく描いた前半パートがあって活きてくるのである。
ブログでは表現できない感動
戦争をテーマにした映画はたくさんあるが、『ライフ・イズ・ビューティフル』は切り口が本当に素晴らしい。
子供と一緒に収容されてしまった絶望に対して、父として何ができるのか?を掘り下げたことが傑作に繋がっている。
「どんな状況にあっても人生は美しくあるべき」という信念を基に作られた作品だが、まさにその通りである。
連合軍が来たことによりナチスが撤退するなか、グイドはこのままここにいても危険だと判断する。
ナチスの敗戦による腹いせにそこら中で銃声が鳴り響いているからである。
それに、妻であるドーラの身も危険である。
グイドはジョズエを「かくれんぼ」と説明しゴミ箱の中に隠し、ドーラを探しに行くのである。
「音が静かになるまで出てきてはいけない」
「これが出来れば得点は1位で戦車がもらえる」
この様なことを言って、ジョズエを守り、ドーラ探しに翻弄するのである。
しかし、最終的にドーラを探し出せず、ナチスに捕まってしまうのだ。
初めて『ライフ・イズ・ビューティフル』を観たとき、この捕まったあとの展開に対して「ハッピーエンドで終わらせてくれ」と願ったものだ。
今までどんな困難にも機転を利かせて切り抜けてきたグイド。
捕まり銃を突き付けられて移動している時も、ジョズエが心配しないようにあくまでもゲームを装い楽しませるのである。
この時、グイドが死ぬことを悟り、さらにジョズエに自分が撃たれる所を見せないよう抵抗するのを止め、最後にウインクする時のシーンはまさに名シーンである。
しかし、その後すぐに人の見えない場所で殺されてしまうのであった・・・
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ラストの戦車に乗るシーン
ナチスが収容所を去り、静まる中、連合軍の戦車が威風堂々と登場する。
父との約束を守り、静かになるまでゴミ箱の中に隠れていたジョズエはその光景に驚く。
本当に戦車が来たのだ。
そして、その戦車に乗り込むジョズエ。
この時、父はもうこの世にいないことをまだ知らないのである。
グイドの素敵な嘘によって、辛く悲しい強制収容所の環境が、ゲームのように楽しく、さらに最も欲しがっていたプレゼント(戦車)まで与えてくれる環境を作ってくれたのである。
物心がついたジョズエが冒頭とラストのナレーションを務めるが、これがまた最高なのである。
「これが私の物語。父が命をかけて私にくれた贈り物。」
父がどんな心境で自分を助けてくれたのか?ジョズエがこのことを理解し、物心がついた時のことを想像するだけでも涙が溢れてくる。
この余韻の残し方も素晴らしい。
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